日本武道館 座席表

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日本武道館の画像

日本武道館までのアクセス

武道館の最寄り駅は九段下駅です。九段下の駅から武道館までは徒歩で約5分です。

羽田空港 第1、第2ビル:東京モノレールで約20分 浜松町駅からJR山手線内回りで約6分で東京駅

東京駅 → 東京メトロ丸の内線に乗り、次の大手町駅で東西線に乗換、2駅目。所要時間は6分。
(大手町駅へは東京駅構内を歩いて行くことも可能。)

上野駅 → 東京メトロ銀座線に乗り、三越前または日本橋でそれぞれ半蔵門線または東西線に乗り換え。どちらも所要時間は14分程度。

新宿駅 → 都営新宿線で4駅。所要時間8分。

日本武道館 周辺地図

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日本武道館 座席表

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武道館は八角形なので、一つのブロックのみ掲載しています。



日本武道館に行くのなら、ヘリコプターでナイトクルージングもしてみてはどうでしょうか?女の子は感激します。

日本武道館とは

世界測地系: 35°41′36″N, 139°44′59″E

日本武道館
日本武道館
情報
通称 武道館
正式名称 {{{正式名称}}}
旧名称 {{{旧名称}}}
完成 1964年
開館 1964年10月3日
開館公演 東京オリンピック・柔道競技
(1964年10月20日〜23日)
閉館 [[{{{閉館年}}}年]]
最終公演 {{{最終公演}}}
収容人員 14,471人
客席数 固定席(1階: 3,199席)
固定席(2・3階: 7,846席)
立見席(3階: 480席)
仮設席・アリーナ(最大2,946席)
延床面積 21,133.3m²
設備
用途 武道・武術の試合、競技イベント全般
音楽コンサート
政党大会、集会等
旧用途 {{{旧用途}}}
運営 財団法人日本武道館
(会長: 松永光)
所在地 〒{{{郵便番号}}}
東京都千代田区北の丸公園2番3号
北の丸公園内
電話番号 {{{電話番号}}}
アクセス 地下鉄東西線・半蔵門線・都営新宿線
九段下駅2番出口より徒歩5分
公式サイト {{{HP}}}
■(Template:ホール概要)

日本武道館(にっぽんぶどうかん、Nippon Budōkan)は、東京都千代田区北の丸公園にある屋内競技施設。日本伝統の武道を普及奨励し心身錬磨の大道場としての役割を担うことを設立趣旨とする。しばしば「にほんぶどうかん」と読まれるが、正式な呼称は「にっぽんぶどうかん」である。

運営者は同名の財団法人日本武道館。現在の会長は松永光。

目次

  • 1 地史
  • 2 概説
  • 3 館内設備等
  • 4 格闘技会場としての日本武道館
    • 4.1 プロボクシング興行
    • 4.2 プロレス興行
  • 5 コンサートホールとしての日本武道館
    • 5.1 武道館公演の歴史
    • 5.2 ジャンル別単独初公演
    • 5.3 武道館公演に関する記録
  • 6 その他の使用例
    • 6.1 イベント
    • 6.2 テレビ番組
    • 6.3 学校
    • 6.4 企業
    • 6.5 著名人の葬儀
  • 7 交通
  • 8 外部リンク

地史

詳細は「北の丸公園」を参照

日本武道館のあたりは、元々太田道灌が江戸城を築城した際に、関東の守護神でもあった築土神社(旧・田安明神)が遷座したところで、のち、徳川家康が入府した際に、関東代官であった内藤清成らの屋敷となったため、代官町と呼ばれていた。その後、徳川忠長や徳川綱重らの屋敷を経て、江戸中期以降は徳川氏の御三卿であった田安徳川家が屋敷を構えたが、明治維新後取り壊された。

概説

九段下側入口
擬宝珠(ぎぼし)
寸法は高さ3.35m、直径5.15m。

日本武道館は、1964年開催の東京オリンピックの会場のひとつとして建設され、同年10月3日に落成。設計は山田守。法隆寺夢殿をモデルにした八角形の意匠である。大屋根の稜線は富士山をイメージしている。

東京オリンピックでは、10月20日から4日間にわたって柔道競技が行われた。

柔道・合気道・剣道・弓道・空手などの武道やダンス、マーチングバンド・バトントワリングの競技会(大会)・演武会などに使われるほか、コンサートや格闘技(プロボクシング、プロレスリング、総合格闘技)の興行会場、大学や企業などの大規模な入学式・卒業式・入社式の会場として等、幅広く使用される。

設立された頃は「日本の武道の聖地」的な意味合いが強かったため、1966年にビートルズのコンサートが行われた際には「日本の武道文化を侮辱する」などとして異を唱える者も多かった。細川隆元もその一人であった。

毎年1月〜2月には全日本書初め大展覧会(正月には大道場で席書大会が行われる)、4月29日には全日本柔道選手権大会(無差別級で競われる実力日本一決定戦)、7月下旬〜8月上旬には各武道連盟と合同で小中学生対象の全日本少年武道錬成大会、8月15日には政府主催の全国戦没者追悼式、8月下旬には日本テレビ主催のテレビチャリティー「24時間テレビ」、11月3日には全日本剣道選手権、11月下旬には、自衛隊音楽まつりも行われる。

館内設備等

  • 大道場(アリーナ)は板張りで、柔道の競技場として使用する時は畳を敷き、コンサートでは養生シートを敷き椅子を設置したりなどする。柔道の際に使用される数百枚の畳はアリーナの地下に収納されている(建物レベルで言う地下3階)。
  • 大道場の天井に掲揚してある日章旗はいかなるコンサート・イベントの場合でも降ろしてはいけないことになっている。
  • 1階固定席は3,199席、2〜3階固定席は7,846席、立見席(3階)は480、アリーナには最大2,946席まで設置できる。
  • 2階スタンドにはカラー電光掲示板が東西スタンド前方の2ヶ所に設置されている。現在の電光掲示板は2005年2月に設置されたもので、小型のカラー液晶モニター付である。
  • 大道場の他、小規模な柔道場と剣道場がある。
  • 各武道の学生連盟事務所や国際武道大学の事務所がある。
  • 擬宝珠の下の部分には12台の換気扇があり、館内の換気を行っている。

格闘技会場としての日本武道館

プロボクシング興行

日本武道館でプロボクシングの試合が初めて行われたのは、1965年11月30日の世界バンタム級選手権試合:ファイティング原田(笹崎ボクシングジム)vsアラン・ラドキン( イギリス)戦である。原田はチャンピオンとしての全防衛戦を日本武道館で開催している。

また、モハメド・アリ( アメリカ合衆国)がマック・フォスターを相手に、ノンタイトル10回戦を行ったのも、1972年4月1日の日本武道館である。

1973年9月1日、世界ヘビー級王者:ジョージ・フォアマン( アメリカ合衆国)が、ジョー・キング・ローマン( プエルトリコ)を相手に、日本武道館で初防衛戦を行い、1ラウンドKOで勝利した。これが、日本に於ける初の世界ヘビー級選手権試合であった。

その後も、数々の世界選手権試合が日本武道館で開催されており、ボクシングの聖地のひとつともされている。

プロレス興行

日本武道館へのプロレス初進出はオープン2年後、1966年12月3日に行われた日本プロレスの大会で、メインイベントはジャイアント馬場VSフリッツ・フォン・エリックのインターナショナル・ヘビー級選手権試合であった。

それ以降、力道山十三回忌追悼興行、アントニオ猪木VSウィレム・ルスカ、モハメド・アリの異種格闘技戦、プロレス夢のオールスター戦など数々のビッグイベントが開催された。1970年代後半は新日本プロレス、1980年代中期以降は全日本プロレスがビッグマッチ用の会場として使用し、とりわけ1990年代の全日本の試合は年間7試合組まれた武道館大会がほぼ間違いなく満員になるという伝説的な売れ行きをみせた。

1999年のジャイアント馬場の葬儀にも日本武道館が使用されている。2000年代に入ると、全日本プロレスから独立したプロレスリング・ノアが定期的に興行を行い、2002年2月には怪我、2007年12月には病気により長期欠場していた小橋建太の復帰戦が行われた。東京ドームのオープン以降はオールスター戦級のビッグイベントはそちらに移ったが、いまなお日本のプロレス界にとって特別な大会場である。

会場使用条件がとても厳しく、団体が1年以上経営、存続し決算書の公開が求められ、使用した際の黒字が計算でき、会場側が負債を背負わない見解が出来て、初めて使用が認められる。武藤体制の全日本プロレスが使用できなくなったり、プロレスリング・ノアが旗揚げから1年間会場として使えなかったのは、このような制約があった為である。

コンサートホールとしての日本武道館

現在では、コンサートやライブなどの各種音楽イベントでの使用が、日本武道館の使用目的の大きな柱の一つになっている。ただ、武道館の名の通り元来は音楽目的で建設された施設ではないため、良好な音響を観客に聴かせるのは困難を極める。その改善のために、現在に至るまで様々なノウハウが確立されており、培われた手法が全国各地の多目的ホールでのコンサートにも応用されることが珍しくない。

座席数は、上記の通り合計最多14,471席であるが、コンサートホールとして使用する場合、舞台設営・観覧のしやすさなどのセット配置・レイアウト面の都合から、一般的に8千席から1万席前後のホールとして使用される。

特に日本を中心に活動する歌手・音楽バンドにとっては、日本武道館はコンサート会場として極めて重要な位置づけに置かれている。日本武道館の規模となると、会場としての大きさ故に、興行を実現させ、その興行を内容・収入の両面で成功に至らせる事は容易ではない。そのため、武道館公演の成功は、大規模会場での大型興行も十分に務め上げられる歌手であるという「一流」の興行能力・集客力を持つ事を業界の内外に誇示する、一種のステイタスとしての意味を持っている。また、古くはビートルズの来日公演にはじまり、海外の著名ミュージシャンの使用例も数多い。

このことから、ロック・演歌などのジャンルを問わず、新人やデビュー前のミュージシャンはもとより、プロの一線級のミュージシャン・歌手でさえ、「武道館公演の実現」を憧れとし、これを目標に活動する者は数多い。特に、バンド・グループ・アイドル歌手などは、武道館公演が活動の事実上の一つの節目となったり、解散や引退の記念として1度きりの武道館公演を実施することが多々見られている。逆に、このような大規模会場を好まず、「NHK紅白歌合戦」の出場同様に、武道館級以上の規模の施設ではライブをしないことを公言しつつ、活動するミュージシャンやバンドも、山下達郎(妻・竹内まりやの武道館公演のバック・ギタリストとして出演したことはある)をはじめ、少数ながら存在し、そのまま「大物ミュージシャン」と呼ばれる域にまで至ると、むしろそれがステイタスとなりある種の商業的価値を持つ場合もある。また、2009年に、初のアリーナ公演を開催したスピッツが、「(武道館で公演を行うことによって)アリーナ公演に意味を持たせたくない」として、日本武道館の使用を意識的に避けている様に、現在でも「武道館でコンサートを行う」ことには一定の影響力があり、また、その影響力を避けるアーティストも存在する。

最近では、東京ドームなどのドーム球場での単独公演、さらには、全国大都市のドーム球場を巡回するドームツアーが、「ミュージシャンとして最大の到達点」「日本の音楽ステージの頂点」として見なされることも多く、絶対的な価値こそ薄れてきているものの、現在においても、日本武道館規模での単独公演は、多くのミュージシャンにとって大きな挑戦であり試練である。そのため、武道館公演に成功し高評価を受けることは、歌手としての集客力や興行力の証明として十分な価値を持っており、現在でも音楽業界・芸能界にとっては一種の聖地的な存在として、格別の意味を持つ重要なコンサート会場であることに変わりは無い。

他方、ミュージシャンやアイドル歌手、特にアイドルグループを擁する大手芸能事務所・レコード会社の中には、「武道館公演を成功させた」「武道館規模以上でなければ観客を収容できない人気がある」というそのステイタスの獲得を目的に、大した実績も無い段階で、武道館公演を利用する本末転倒な者が存在している事もまた事実であり、この場合、事務所の後援会やファンクラブを利用した、組織的なチケットの大量販売・大量動員などが繰り広げられる事も見られる。だが、この場合にしても、特に芸能事務所にとっては、コンサート会場で行われるタレントの肖像・グループのロゴなどを利用した関連グッズの販売が重要な収益源になっているため、大型会場として購入者の大量動員が可能である一方で、ドーム球場よりも会場使用コストが低い武道館公演は、収益性を考えれば大変に重要なイベントである。

また、当記述の通りの音楽ホールとしての「武道館」の知名度にあやかり、ソニーから、簡易ボディソニックシステム及び携帯音楽プレーヤー・ウォークマン派生の重低音システムとして、「武道館 BOODO KHAN」という商品が販売されたことがある。

武道館公演の歴史

  • 武道館で、最初にコンサートを行った外国人音楽家は、レオポルド・ストコフスキーで、1965年7月に日本フィルハーモニー交響楽団を指揮している。ちなみに、1960年代は、アリーナに客を入れずに、コンサートを行っていた。
  • 翌1966年には、ビートルズの来日初公演。その公演の際は、アリーナには機動隊が詰めていた。
  • 1971年1月24日にザ・タイガースが解散コンサートを行なった。
  • 1972年・1973年に、ディープ・パープルの日本公演が行われた。その1972年の武道館でのライブを元に、アルバム 『ライヴ・イン・ジャパン』 "Made in Japan" を製作した。また、1973年6月25日の公演ではアンコールを行わなかった事から、観客が暴徒化し、翌日の公演が中止になった。
  • 1973年夏、サンタナ初来日公演。
  • 1975年11月3日に、西城秀樹が、日本人ソロアーティストとして初のワンマン公演を行う。
  • 1978年に初来日したボブ・ディランが、2月から3月にかけて8回コンサートを行い、この当時におけるツアー最多公演を記録した。1979年、この時の音源を使用したライブ・アルバム 『武道館』 "Bob Dylan at Budokan"発表。
  • チープ・トリックは、1978年4月28日と30日の武道館公演を元に、ライブ・アルバム『チープ・トリックat武道館』 "Cheap Trick at Budokan"を発表した。当初、日本限定盤のこのアルバムが海外に輸出されて大ヒットし、本国より先行して日本では人気を得てヒットしていたバンドと共に一躍、武道館の名前が世界に広がり、海外アーティストにも憧れの会場となった。この、チープ・トリックのアルバムの大ヒットにより、他のアーティスト達が武道館公演のライブ・アルバムを続々と発売するようになる。英語版ウィキペディアにおける日本武道館の項目には「多くの西欧人にとって Budokan の名は大規模なロック・コンサートと同義」と記されている。
  • 1979年12月3日、エリック・クラプトンが、4度目の日本ツアーの一環として武道館公演を行い(この日で通算8回目の使用)、その時の録音が、1980年にアルバム『ジャスト・ワン・ナイト〜エリック・クラプトン・ライヴ・アット武道館〜』"Just One Night"として発表される。
  • 1980年10月5日、山口百恵の引退コンサートが行われる。
  • 1982年 - オフコースが、当時としては最長となる連続公演を行う。オフコース解散後は、小田和正が1990年からコンサートツアーで使用しており、2008年9月現在まで22回行われている。
  • 1983年12月6日、エイジアの武道館公演を、MTVが世界に衛星生中継した。後に、これは 『エイジア・イン・エイジア』 "Asia in Asia" と題して、ビデオ化されている。
  • 1983年12月12日 - YMOが、散開ライブを行う。
  • 1985年12月13日 - 爆風スランプが、初の武道館公演。これに際して『大きな玉ねぎの下で』という曲を作った。この歌のタイトルの「玉ねぎ」とは、日本武道館の屋根の擬宝珠(ぎぼし)のことを意味している。
  • 1986年 - 甲斐バンドが、ファイナル・コンサート・ツアー「PARTY」にて、5日連続公演。
  • 1986年-1987年 - 長渕剛が、当時のコンサートとしては斬新なセンターステージ方式でライブを行う。
  • 1992年6月16・17日 - 尾崎豊が、初の武道館公演を行う予定であったが、4月に急逝したことで幻に終わった。尾崎は、武道大会で日本武道館を訪れた際に、「ここでライブをやる」と壁に書き残していたという逸話が残っている。既に完売していたチケットは払い戻しとなったが、その幻のライブチケットを記念に残したファンが多く、実際に払い戻しに訪れた者はほとんどいなかったという。
  • 1993年1月10、11、18〜22、24、25日 - 米米CLUBが、デビュー8年目を記念して、SHARISHARISM ACEツアーを敢行。この年から、米米は「8」という数字にとことんこだわり、メンバーの人数が8人、デビュー8年目、米米で八八八八、そして八角形の日本武道館ということで、日本武道館でライブを行った。この年から、8月8日は米米の日と勝手に制定した。
  • 1998年 - オアシスが、3日間連続公演。
  • 1998年 - フォークデュオのあのねのねが、「武道館内の会議室」でライブを実施。使用料は、ラジオのリスナーからの募金。会議室でライブを行ったのは、あのねのねが初。
  • 1999年12月31日 - 藤井フミヤが、初めてカウントダウンライブを開催。フミヤは、1995年から毎年大晦日公演を行っており、カウントダウンライブも2008年まで10年連続。
  • 2003年3月10日、ローリング・ストーンズが、初の武道館公演を行う。ローリング・ストーンズは、1973年1月に、初来日公演を日本武道館で行う予定だったが、直前に来日が中止になってしまい、いわゆる「幻の武道館」から、30年の年月を経て実現した。
  • 2004年 - ZARDが、デビューから13年経って、初の武道館公演を行った。これが、ボーカリスト・坂井泉水の生前最後のライブとなってしまった。
  • 2004年7月 - ASIAN KUNG-FU GENERATION主催の「NANO-MUGEN FES.」を開催する。
  • 2005年4月1日 - 女性アイドル・バンドとしての活動形態を確立したZONEが、解散ライブを行う。
  • 2005年9月6・7日 - さだまさしが、自身の持つソロ・コンサート日本最多回数の記録を塗り替える、3333回目のコンサートを行う。
  • 2007年12月16日 - 矢沢永吉が、初の武道館公演100回を達成。
  • 2008年3月31日・4月1日 - チャットモンチーが初の武道館ワンマンライブ「チャットモンチーのすごい2日間in日本武道館」を開催。このライブでプリンセス・プリンセスの公演記録2年8カ月(89年1月)を抜き、19年ぶりに女性ロックバンドの史上最短記録を更新した。
  • 2008年8月4・5日 - 久石譲が、映画「崖の上のポニョ」公開を記念して、自身が音楽を手掛けた宮崎駿監督作品のみでのオーケストラコンサートを開催。200人のオーケストラ、一般公募を含む合唱団等。出演者総勢1,200人。
  • 2008年12月10・11日 - ORANGE RANGEが、ライブツアー「PANIC FANCY」で、初の武道館公演を行った。
  • 2009年1月29日 - 黒夢が10年ぶりに活動を再開し、一夜限りの解散ライブを行った。このライブを最後に正式に解散。
  • 2009年5月28日・29日・6月4日・5日 - 福山雅治が、デビュー20周年を記念して、初の日本武道館公演を行った。チケット料金は、3,939円(サンキューサンキュー)。

ジャンル別単独初公演

  • 音楽単独初公演 - レオポルド・ストコフスキー(1965年)
  • バンド - ビートルズ(1966年)
  • 日本人グループでの単独初公演 - ザ・タイガース(1971年1月24日の解散コンサート)
  • ソロアーティスト - 西城秀樹(1975年11月3日)
  • 声優 - 椎名へきる(1997年2月22日23日・5年後より、3年連続の元旦公演を開催した)
  • インディーズバンド - Dir en grey(1998年)
  • 女性バンド - プリンセス・プリンセス(1989年・以後、1990年〜1996年まで、正月公演を恒例とした)
  • ヒップホップソロアーティスト - KREVA(2006年4月28日)
  • ギター弾き語り公演 - 奥田民生(1998年)
  • ピアノ弾き語り公演 - アンジェラ・アキ(2006年)

武道館公演に関する記録

  • 史上最多公演アーティスト - 矢沢永吉・藤井フミヤ(ただし、チェッカーズおよびF-BLOOD名義の公演を含む)(総合1位・102回・2008年12月31日現在)
  • 史上最多公演女性アーティスト - 松田聖子(総合2位(藤井フミヤとチェッカーズを別アーティストと扱う場合。同一とみなす場合は総合3位)85回・2007年12月16日現在)
  • 史上最多公演バンド - THE ALFEE(総合3位(藤井フミヤとチェッカーズを別アーティストと扱う場合。同一とみなす場合は総合4位)・71回・2007年12月24日現在)
  • 史上最多公演海外アーティスト - エリック・クラプトン(総合4位(藤井フミヤとチェッカーズを別アーティストと扱う場合。同一とみなす場合は総合5位)・70回・2007年12月16日現在)
  • 史上最多日数公演 - HOUND DOG(15日間・1989年)
  • 史上1日最多公演 - SMAP(6回)
  • 武道館最多動員数 - SIAM SHADEの解散公演(2002年3月10日)・福山雅治(2009年5月28日・29日・6月4日・5日予定)(15,000人)

その他の使用例

イベント

1970年代から1990年代にかけては、FNS歌謡祭、世界歌謡祭、東京音楽祭、日本歌謡大賞、日本テレビ音楽祭、日本寮歌祭、日本民謡大賞、日本レコード大賞の発表会が行われて来た。その他、日本郷土民謡協会の春季・全国大会も、ここで行われる。

また、近年では、超大作洋画のジャパンプレミア(試写会)も行われることがある。

演芸・お笑いでは、1992年には、当時の人気深夜テレビ番組「鶴瓶上岡パペポTV」が、武道館初となるお笑い・トークライブを開催した。1995年には、松本人志が、客が値段を決める料金後払い制ライブ「松風’95」を、2003年12月に「高須ちゃん生誕40周年祭り」と称したラジオ番組『放送室』の公開録音を、2007年には、テレビ番組のイベントとして、KILLERSの解散コンサートと笑福亭鶴瓶・松嶋尚美(オセロ)のトークライブの2部構成による「きらきらアフロ in 武道館」を行った。また、1997年10月には、春風亭小朝が落語の独演会も行た。

2007年7月12日には。大韓民国の俳優イ・ビョンホンが写真集販売イベントを行ったが、後に、イ・ビョンホンの事務所が、韓国のマスメディア向けに提供した写真で、大道場天井の日章旗が白旗に塗り潰されていたことが、問題となった。

テレビ番組

  • 24時間テレビ 「愛は地球を救う」(2008年まで)
  • 花より男子2(最終回)

学校

入学式シーズンに桜に囲まれる日本武道館

入学式や卒業式等で使用。

  • 国士舘大学
  • 専修大学
  • 帝京大学グループ
  • 東京大学
  • 東京電機大学
  • 東京理科大学
  • 東洋大学
  • 日本工学院専門学校
  • 日本大学
  • 法政大学
  • 明治大学

企業

  • 日本航空 - 株主総会で使用。

著名人の葬儀

内閣総理大臣経験者の本葬は、日本武道館で行われる場合が少なくない。

  • 大平正芳(元内閣総理大臣。現職中に急死)
  • 小渕恵三(元内閣総理大臣)
  • 岸信介(元内閣総理大臣)
  • 小林與三次(讀賣新聞社元社長、日本テレビ放送網元会長)
  • 佐藤栄作(元内閣総理大臣。国民葬として行われた)
  • ジャイアント馬場(プロレスラー)
  • 正力松太郎(元讀賣新聞社社主、元東京讀賣巨人軍オーナー、日本テレビ放送網創業者・初代社長)
  • 土光敏夫(元経団連名誉会長)
  • 橋本龍太郎(元内閣総理大臣)
  • 吉田茂(元内閣総理大臣。戦後初の国葬として行われた)

交通

  • 九段下駅
    • 東京地下鉄東西線、半蔵門線
    • 都営地下鉄新宿線
  • 飯田橋駅
    • JR中央線
    • 東京地下鉄有楽町線、南北線
    • 都営地下鉄大江戸線

外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
  • 財団法人日本武道館
  • 築土神社(日本武道館の氏神)
先代:
帝国劇場
1969年-1984年
日本レコード大賞会場
1985年-1993年
次代:
TBS放送センター
1994年-2003年


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